死は必然
最近小学生の書いた本を読む機会があった。その一つ。
「神様は小学3年生」
大人の編集者が小学3年生の「すみれちゃん」という女の子に
手紙をもらって、話を聞いて編集しているのだけれども、
その話はちゃんと お手紙でその子が書いたものである。
こちらは小説ではなく その子の体験談、それも 母親の胎内にいた時の記憶、
そして前世の記憶、そして前世と現世との間の記憶(!!?)
である。
彼女は前世 彼女いわく、
日本の神であったらしいのだ。😳
なんともかんとも。
私にとっては。とてもタイムリーな内容の本である。
私は前世も来世もあの世にも とても寛大である(笑)🤭
ただ、今まで読んだ知識を 自分の頭の中で混ぜ合わせてこねて
自分なりの解釈をしている。
ただ、不思議な現象を見たわけでも いわゆる「見える人」👀ではないので
あくまでも 想像なのだ。
不謹慎ではあるけど、数ヶ月前に亡くなった 実母に
亡くなる前に「死んだらどうなるか、亡くなってから なんとか教えてくれる?」と約束した。
「どうやって知らせれるかわからんけど(笑)」なんて話をしていたのだ。
その数ヶ月後に この本を手にしたということは
それが答えかな????なんて思うのだ。
本の中のインタビューしている大人が
「すみれちゃん、その話は聞いていい話?」と
何度か念押しする場面がある。
きっとあの世からこの世に話してはいけないことがあるのだろう?
だから、うちの母も直接ではなく、「本」というツールを使って
私に教えてくれたのではないのかな〜?なーんて思う。
もし、これが正解なら●●を見せて?なんて質問をしても良いのだろうけど
私はもうすでに確信をしているのだ。(鼻息フン!)
(ちなみに私がよほど迷った時に使う奥の手である)
その本の中で「死」はゴールである。
そしてどんな「死」も必然で偶然はない。
事故も病気も災害での死亡も 全部が必然。
というようなことが書いてあった。
今までも、何人かの血族や友、知り合いの死別を経験し、
「そうか」と納得する部分もある。早すぎると言うも
「早くゴールした」
「思ったより はかどってゴールした」
とも言えるのかもしれない。
少しだけ残された人の心が救われる考え方だ。
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